徳川家康

徳川家康 肖像画徳川家康は戦国時代の武将で天下統一を果たしました。
同時代で天下統一を果たした織田信長、豊臣秀吉と良く比較されますが、家康が健在であったときだけでなく、その後も長く徳川家のみが栄華を誇れたということで、真の意味で天下統一を果たしたのは徳川家康(徳川家)だったといえるかもしれません。

ただ徳川家康は、もともと戦国の時代の中小豪族の家系に生まれ、幼少時代から十数年にわたって織田家や今川家の人質としての苦難の時代を送っています。
その人質の時代が、老獪ともいわれる徳川家康の人格を形成したといわれています。
家康の一生を振り返ってみましょう。

西暦 年齢 出来事
1542年 1 岡崎城にて松平家の長男として12月26日に産声を上げる。幼名は竹千代
1547年 6 今川の人質として駿府へ赴く途中、戸田宗光に騙され織田家に売られる。
1549年 8 駿府へ赴き今川の人質となる。
1555年 14 松平次郎三郎元信と改名(元服)
1557年 16 蔵人元康と改名
1560年 19 桶狭間の戦い(激しい戦闘で丸根砦を攻略、今川義元は織田に討たれる)
1562年 21 織田信長と同盟を結ぶ
1563年 22 改名して家康を名乗る。三河一揆が起こる。
1566年 25 姓を松平から徳川へ改名
1570年 29 姉川の戦い(浅井、朝倉軍に対して織田側として戦い徳川軍の活躍もあり勝利する)
1572年 31 三方ヶ原の戦いで武田信玄に破れる。
1575年 34 長篠の戦い(武田勝頼を破る:騎馬隊での戦いから、鉄砲などの銃器の戦いへの転換点)
1584年 43 長久手の戦い(豊臣秀吉と和睦を結ぶ。これより家康は政治家色が強くなる。)
1590年 49 関東へ国替えのため、江戸城へ入城する。
1599年 58 豊臣秀吉 没後、秀頼の後見人となる。
1600年 59 関が原の戦い(『天下分け目の戦い』石田三成を破り、徳川の覇権を確立した。)
1603年 62 征夷大将軍となる
1614年 73 大阪冬の陣
1615年 74 大阪夏の陣
1616年 75 駿府城にて病気の為に死去する