伊賀八幡宮
伊賀八幡宮は文明二年(1470年)、松平四代親忠が松平家(徳川将軍家の祖)の氏神として家運長久、子孫繁栄を祈願する為、三重県の伊賀国から三州額田郡井田村へ社を移したのが始まりといわれています。
この石橋越しの伊賀八幡宮の姿は美しく、伊賀八幡宮を紹介するのによく使われています。
伊賀八幡宮と呼ばれるようになったのは、もとあった場所にちなんで名前をつけられたからです。
最初の社殿は焼失していて、現在ある伊賀八幡宮の社殿は三代将軍家光が寛永十三年(1636年)に造営したものです。
社殿は権現造りで、本殿、拝殿、弊殿、御供所、随身門、神橋、鳥居などが国の重要文化財に指定されてる貴重な神社です。
ほぼ見るものすべてが重要文化財です。
天照大権現として徳川家康も祀られています。
伊賀八幡宮に関する逸話
伊賀八幡宮は松平宗家 徳川代々の祈願所となり、戦にまつわる様々な逸話が残っています。
八代広忠公は、天文4年十二月 織田信秀が岡崎城を攻め取ろうとしたとき、八幡宮に祈願して井田ヶ原に迎え撃ちました。
そのとき先頭に馬に乗った武者が現れ敵陣めがけて白羽の矢を放った。
すると八幡宮の森の上から黒雲が沸き嵐を呼んで、白羽の神矢が雨あられのように敵陣へ飛びました。たちまち、三万あまりの敵兵は敗退したとのことです。
広忠公は、みずからその神矢を拾って、八幡宮に奉納しました。
家康公も伊賀八幡宮への尊敬の念はきわめて厚く、出陣には祈願することが慣わしでした。
関ヶ原の戦いや大阪城の陣のときは神殿が鳴動し鳥居が移動するなど不思議なことが起こったといわれています。
また桶狭間の戦いに利なく軍を引かそうとしたとき矢作川に八幡宮の神の使いの鹿が現れて、家康公は無事大樹寺に入ることができたとのことです。
こうして伊賀八幡宮は松平家徳川家の守護神として尊敬を集めていました。
伊賀八幡宮の参道
大きな鳥居から伊賀八幡宮まで参道がありますので、歩いてみました。
ここから、住宅に挟まれた参道200mほど行くと伊賀八幡宮にたどり着きます。(これが戦のときに鳴動し動いたといわれる鳥居なのでしょうか。)
伊賀川にかかる橋を渡ると伊賀八幡宮はすぐ目の前です。
伊賀八幡宮のすぐ前を流れるこの伊賀川は、さくらの名所としても知られています。
伊賀川の両岸に数キロにわたり桜が咲いている様はとても美しいです。
個人的には、さくらで有名な岡崎公園よりもお勧めです。
伊賀八幡宮の門です。
石橋は渡れないので池を回り込んでいきます。
伊賀八幡宮を俯瞰で着る案内図です。
徳川の家紋が入った馬の像です。
住 所 : 岡崎市伊賀町東郷中86
電 話 :0564-26-2789
アクセス :東岡崎から名鉄バスで 八幡社前下車 徒歩3分
駐車場 :あり
※神社の横手に石砂利の駐車場はありますが、そこへ入る道など看板は出ていますが分かりにくいので注意してください。