滝山寺・滝山東照宮

滝山寺/滝山東照宮は徳川家にも崇敬されて、かなりの栄華を誇っていたようです。
寺内にはたくさんの重要文化財があります。
また、滝山寺を訪れる道の途中にとても目立つ大きな朱色の門があります。
滝山寺三門ですのでこれも見逃さないようにしてください。

滝山寺


滝山寺


滝山寺は、「滝山寺縁起」によると役小角の草創といわれています。
保安年中(1120〜1123年)に比叡山の僧仏泉永救が再興した天台宗の寺院です。
以後、滝山寺は 古代末期から奈良時代にかけて藤原氏系熱田大宮司家・三河国守護足利氏とその被官衆といった中央権力と密接する有力な檀家を持つことによって経済基盤を固め、隆盛を誇りました。 


近世では正保二年(1645年)徳川家光の名により本堂の隅に東照宮が建立され、幕府の保護のもと繁栄を続けました。
三門(仁王門)は、文永四年(1267年)の建立で、和様建築の伝統を持つ岡崎市現存最古の建築物です。本堂は四度目の造営と推定され、様式的に禅宗様の影響を強く受けた南北朝期の建築となっています。
滝山寺 鐘
五代将軍 徳川綱吉が建てた鐘のお堂もあります。


観音菩薩・梵天・帝釈天立像は、源頼朝の従兄に当たる僧寛伝が頼朝追善のための滝山寺域内に建立した惣持禅院に安置したもので、仏師運慶とその一門による制作だそうです。
滝山寺 燈籠



ずらりと並ぶ徳川の家紋が入った燈籠です。



鬼まつり
ここ滝山寺で行われる鬼まつり、県の無形文化財に指定されています。 鬼まつりは、多くの参観者でにぎわいます。 旧暦正月七日に近い土曜日に行われます。

滝山東照宮

滝山東照宮は久能山・日光と並ぶ日本三大東照宮の一つとされています。 滝山寺東照宮

滝山東照宮本殿、幣殿、拝殿、透塀、鳥居、水屋などが重要文化財に指定されています。
滝山東照宮は徳川三大将軍家光によって、正保二年(1645年)〜三年に建立されました。
造営奉行は竹中重常です。
極彩色金鍍飾金具の社殿は豪華を極めています。
滝山寺東照宮 本殿 滝山寺東照宮 看板
奥に見える本殿と看板。200円で柵の中に入ることが出来るようです。(今回は入りませんでした)

滝山寺につたえる由緒書によれば、徳川三代将軍家光が、酒井忠勝、松平右衛門大丈および瀧山寺の青竜亮盛の三人を召して、「三河の国は徳川家の本国、岡崎城は家康誕生の地で、また、在世の本城であるから、岡崎付近に権現様を勧請したい。」「幸いにも、滝山寺は古跡で岡崎の要所の地にも当たり、家康が岡崎在城の節、信仰も厚かった霊地であるから、この地に東照宮を勧請するように・・・」と命じて神社が創建されました。
社地は、滝山寺本堂の東、やや小高い場所を整地し正保二年(1645年)五月に着工し、同三年九月に竣工したと伝えられています。
滝山寺東照宮 鳥居

江戸時代全期を通じて、日光東照宮、久能山東照宮とともに三宮の一つとして崇敬され、権勢を誇っていました。社殿は、東照宮風の絢爛豪華な漆塗りおよび極彩色が施され、かえる股、手狭など江戸時代初期の特徴がみられます。
創建以来、江戸時代に七回、近年では昭和四十四年から四十六年にかけてと、度々修理がなされています。
拝殿に中に狩野探幽一門の筆になる板地色三十六歌仙図扁額が掲げられています。

滝山寺三門

滝山寺三門は滝山寺へ向かう途中の道の脇に建っています。 滝山寺三門

三間一戸、屋根入母屋造りこけら葺。斗組は下層三手先、上層尾垂木三手先の典型的な中世楼門で、ほとんど純和様で造られていて、わずかに上層部頭貫本鼻に天竺様の影響が認められます。
「滝山寺縁起」によると、文永四年(1267年)の建立で、市内最古の建造物。
楼上正面の扁額は文永十二年正三位藤原朝巨経朝の書といわれています。

工事に当たり飛騨権守藤原光延が垂木を逆さに打ったのを恥じて自殺したとの伝承があり、正面左手の塚はその墓だそうです。
また仁王像は運慶の作と伝えらています。

木造仁王像 阿形(右側)総高294.3cm、 吽形(左側)総高287.0cm 十五世紀前半頃の作です。
滝山寺三門 像 滝山寺三門 像
カメラのフラッシュの光が届かないので苦しい写真になりました。 是非ご自分の目で見てください。


住所:岡崎市滝町山篭107 
電話:0564-462296(滝山寺)
   0564462516(滝山東照宮)
アクセス:名鉄バス 滝山寺下
          滝仁王門前(←ここは門だけです)
駐車場:あり (※仁王門には駐車場はありません。)